心理学者 / behaviorism

エドワード・トールマン
アメリカ合衆国 1886-04-14 ~ 1959-11-19
アメリカの心理学者・新行動主義の代表 (1886-1959)。1932年『動物とヒトにおける目的的行動』で目的論的行動主義を打ち出し、刺激と反応の間に「媒介変数」を置いた。1948年論文「ラットと人間における認知地図」は、行動主義時代の研究者として認知心理学の土台を準備した。マッカーシー期カリフォルニア大学の忠誠宣誓闘争 (1949-50) を主導した。
この人から学べること
トールマンの「認知地図」は、現代を生きるビジネスパーソンと投資家にとって決定的に重要な概念である。日々のタスクをこなすだけの「S-R」型労働者と、業界・市場・組織の全体構造を頭の中に持ち動的に更新する「認知地図」型労働者では、長期的な意思決定の質に決定的な差が出る。優れた経営者や投資家はキャリアの早期から、自分が属する市場の競合関係・サプライチェーン・規制構造を一枚の地図として頭に描き続けている。重要なのは「報酬なしの探索期」、すなわち目先のリターンがなくても業界の構造を学び続ける「潜在学習」期間を意識的に持つことだ。トールマンが忠誠宣誓闘争で示した「組織の圧力を受けても学問と良心を守る勇気」は、現代の組織内コンプライアンスや内部告発の場面においても示唆に富む。同調圧力下でも認知地図を独立に保つこと――これが彼の遺産の核心である。
心に響く言葉
私はあえて、認知地図という概念を中心に据えた学習理論を骨格として提示してみたい。行動は目的的であり、認知的である。
I shall venture to present in skeletonized form a theory of learning in which I shall make central use of the notion of cognitive maps. Behavior is purposive and cognitive.
心理学において本質的に重要なことは、すべて迷路の分岐点におけるラットの行動を規定する要因の継続的な実験と理論分析によって解明できる。
Everything important in psychology can be investigated in essence through the continued experimental and theoretical analysis of the determiners of rat behavior at a choice point in a maze.
我々が観察する行動は、つねに特定の目標対象あるいは目標状況に「向かって行く」「から離れる」という性格を持つように見える。
Behavior as we shall observe it always seems to have the character of getting-to or getting-from a specific goal-object, or goal-situation.
ラットも人間と同様、目標と手段についての「期待」を発達させると考えてよい。
Rats, like men, can be expected to develop expectancies about goals and means.
忠誠宣誓は本質において、国家が個人の良心の領域に踏み込む試みである。大学が良心の自由を守らなくなれば、それはもはや大学ではない。
A loyalty oath is in essence an attempt by the state to invade the realm of conscience. The University must defend the freedom of conscience or it ceases to be a University.
生涯と功績
エドワード・チェイス・トールマンは1886年4月14日、マサチューセッツ州ウェスト・ニュートンの製造会社経営者の家に生まれた。兄リチャード・チェイス・トールマンはカリフォルニア工科大学の物理学者として知られ、母はクエーカー教徒の出身で、その厳格な倫理が一家の精神的雰囲気を形作っていた。家族の圧力でマサチューセッツ工科大学に進み1911年に電気化学の理学士を取得したが、在学中にウィリアム・ジェイムズの『心理学原理』を読んで物理化学を捨て哲学と心理学に転じる決意を固めた。父は息子に家業を継がせたかったが、最終的に一家は彼の決断を支援した。1912年にドイツのギーセン大学に渡り、ここでクルト・コフカやクルト・レヴィンを通じてゲシュタルト心理学の洗礼を受ける。これが後年、行動主義の枠内に「目的」と「認知」を持ち込む知的バックボーンとなる。ハーバード大学に転じ1915年にヒューゴ・ミュンスターベルクの研究室で博士号を取得した。
ノースウェスタン大学での3年間 (1915-1918) の講師職の後、1918年からカリフォルニア大学バークレー校で長く教鞭を執り、1954年の退職まで一貫してここで研究を続けた。彼の研究の中心はラットの迷路学習であった。同時代の急進的行動主義者バラス・スキナーやクラーク・ハルが「動物は刺激-反応 (S-R) の自動装置にすぎない」と説いたのに対し、トールマンは「ラットも何かを学んでいる」と主張し続けた。1932年の『動物とヒトにおける目的的行動』(Purposive Behavior in Animals and Men) は、行動を独立変数 (刺激)、媒介変数 (内的過程)、従属変数 (反応) の三層モデルで記述する画期となる。本書の扉に「ネズミにこの本を捧げる」と書いた逸話は有名である。彼はまた行動遺伝学の先駆者でもあり、迷路学習能力を基準にラットを選抜交配して系統間で性能差が遺伝することを実証した。1938年論文「選択点における行動の決定因」では、刺激と反応の間に動機・欲求・運動技能などの「媒介変数」を置き、行動主義の機械論を内部から拡張した。
1948年論文「ラットと人間における認知地図」では、ラットが報酬なしの自由探索で迷路の空間構造そのものを学習する「潜在学習」を実証し、頭の中に物理的な地図に対応する「認知地図」が形成されると論じた。彼は「応答学習」と「場所学習」を区別し、場所学習群が8回の試行で全て正答に到達したのに対し、応答学習群は72回試行しても学習しない個体がいた。これは S-S (刺激-刺激) 理論として、ハルの S-R 理論と長期にわたる論争の旗印となる。しかし1950年代に入るとスキナーの「学習の理論は必要か」(1950) が大勢を席巻し、彼の影響力は一時的に陰った。それでも認知地図の概念は、後の認知心理学・神経科学・地理学・経済学にまで応用され、ダニエル・カーネマン (2002年ノーベル経済学賞) を含む認知革命の源流として再評価される。
1949年から1950年にかけてカリフォルニア大学全教員に課された忠誠宣誓 (Loyalty Oath) を、彼は学問の自由への侵害として拒絶し、解雇された教員たちの先頭に立った。最高裁まで戦った「トールマン対アンダーヒル事件」(1955年勝訴) は学問の自由の歴史的判例となる。1954年6月のマッギル大学特別招集集会では「忠誠宣誓は本質において、国家が個人の良心の領域に踏み込む試みである」と演説し、スケープゴート化の論理を厳しく批判した。1937年アメリカ心理学会会長、1957年APA特別科学貢献賞、1949年米国芸術科学アカデミー会員、米国科学アカデミー会員。1963年バークレー校の教育・心理学棟が「トールマン・ホール」と命名された (2019年耐震性のため解体)。1959年11月19日死去、享年73。
専門家としての評価
目的論的行動主義の創始者として、行動主義時代の真っ只中で「動物にも目的と認知がある」と主張し続けた孤高の存在。ハル、スキナーら同時代の急進的行動主義者からは「mentalist (心主義者)」と批判されながら、潜在学習・認知地図・S-S 学習という後の認知革命の三大遺産を残した。2002年の総合学術調査では20世紀45番目に著名な心理学者と評価され、認知地図の概念は心理学・神経科学・地理学・経済学に広く応用されている。