政治家 / european_statesman

マーガレット・サッチャー
イギリス 1925-10-13 ~ 2013-04-08
イギリス首相(1925-2013)。20世紀ヨーロッパで初の女性首相であり、1979年から1990年まで11年間在任した保守党党首。新自由主義経済政策、フォークランド戦争、労働組合との対決で知られ、ソ連紙が付けた異名「鉄の女(Iron Lady)」が定着した。彼女の政策は「サッチャリズム」と呼ばれ、現代英国保守政治の原型となる人物である。
この人から学べること
サッチャーから現代の経営者・政策担当者が学ぶ第一は、「方針を変えない」リーダーシップの実装である。経済構造改革のような大きな変化は、痛みを伴う移行期に確信を持ち続けることが成否を分ける。彼女は「U-turn」を拒否し続けることで政策の信頼性を獲得した。第二は、明確な敵と明確な味方の区別である。彼女は労働組合との対決、ソ連との対決、欧州統合への懐疑を旗印に支持基盤を強固にした。曖昧な連立調整に走らない強権的指導は、変革期の組織運営における一つの古典的モデルである。第三は、女性としての先駆としての影響力である。彼女が「女性の総意を代表する」ことを拒否しつつ、自身の能力で頂点に立った姿勢は、現代の女性経営者・指導者に対する複雑な参照点となる。同時に、地方産業破壊と社会的分断の永続化は、新自由主義改革の社会的コストへの警鐘である。
心に響く言葉
権力者であることは貴婦人であることに似ている。「私がそうだ」と他人に告げる必要があるなら、あなたはそうではない。
Being powerful is like being a lady. If you have to tell people you are, you aren't.
今日の、そして毎日の計画を立てよ。そして自分の計画を実行せよ。
Plan your work for today and every day, then work your plan.
この貴婦人は方針を変えない。
The lady's not for turning.
社会などというものは存在しない。個々の男女と家族があるだけだ。
There is no such thing as society. There are individual men and women, and there are families.
生涯と功績
マーガレット・ヒルダ・ロバーツは1925年10月13日、イングランド東部リンカンシャーのグランサムで、メソジスト派の食料雑貨店主の娘として生まれた。父アルフレッドは熱心な反国家主義の地方政治家で、彼女の禁欲的勤労倫理と政治観を形作った。オックスフォード大学サマヴィル・カレッジで化学を学び、ナフィールド大学で食品科学者として働きながら法律を独学、1953年に法廷弁護士資格を得た。1951年に実業家デニス・サッチャーと結婚、双子の母となる。
1959年、フィンチリー選挙区で下院議員に当選、保守党内で着実に頭角を現した。1970-1974年のヒース内閣では教育科学相を務め、財政逼迫を理由に小学校の無料牛乳を廃止し「サッチャー、ミルク強奪者」と呼ばれた。1975年、ヒース党首への対立候補として保守党党首に就任し、英国主要政党初の女性党首となった。1976年のソ連『赤い星』紙の論説が彼女の対ソ強硬姿勢を「鉄の女」と評したのが異名の起源である。
1979年5月、戦後の英国経済不振「不満の冬」を経て保守党が地滑り的勝利を収め、彼女は20世紀ヨーロッパ初の女性首相となった。彼女の経済政策「サッチャリズム」は、ケインズ主義の福祉国家路線を逆転させ、マネタリズム導入、国営企業民営化(British Telecom、ブリティッシュ・ガス、ブリティッシュ・スチールなど)、規制緩和、所得税減税を断行した。経済は痛みを伴う構造調整を経た末に蘇生し、ロンドンの金融街シティは世界金融センターとして再生した。
1982年4月、アルゼンチンがフォークランド諸島を侵略すると、彼女は74日間で英軍を派遣し奪還、その勇敢な指導は支持率を急上昇させた。1984-85年の炭鉱ストライキでは、左派労働組合を象徴する全国炭鉱組合のスカーギル委員長と1年間対決し、勝利した。これは英国労働組合運動の歴史的後退点となった。1985年からはレーガン米大統領との緊密な関係を通じて冷戦終結期の対ソ外交を主導し、ゴルバチョフを「我々が共に仕事できる人物だ」と評価した。
しかし功罪両論ある。新自由主義路線は地方の伝統的工業地帯を破壊し、北部イングランドや南ウェールズの炭鉱町は彼女の死後も貧困から立ち直れていない。北アイルランド和平でのIRAハンガーストライキへの強硬対応、人頭税(Poll Tax)導入の失敗、シンガポールやチリのピノチェト政権との親密な関係も批判対象である。1990年11月、人頭税の不人気と党内反対により党首選から撤退、首相職を辞任した。2013年4月8日、ロンドンで死去、87歳。彼女の遺産は現代英国の保守と労働の両陣営にとって、賛否いずれにせよ無視できない原点となっている。彼女の長い在任期間と急進的な政策実装は20世紀ヨーロッパ政治史において稀有な現象であり、その後継者ジョン・メージャー、トニー・ブレア、デヴィッド・キャメロンら歴代英国首相は皆、彼女の遺産との対話を強いられてきた。彼女の政治哲学を解説した自伝『ダウニング街の日々』(1993年)は20世紀政治家自伝の名著として今も読まれており、彼女のスタイルを描いた映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2011年、メリル・ストリープ主演)はアカデミー賞主演女優賞を獲得した。日本との関係では、1986年に来日して中曽根康弘首相と会談、相互の保守政治指導者として親密な関係を築いた。
専門家としての評価
20世紀後半のヨーロッパ政治史において、サッチャーは新自由主義路線への大転換を実装した最大の政治家である。レーガンと並ぶ「新右翼革命」の双璧として、福祉国家からの撤退、国営企業民営化、金融自由化のテンプレートを世界に提供した。一方で、地方産業破壊・人頭税失敗・北アイルランド政策は批判の対象であり、英国の左派と右派の双方から議論され続けている、21世紀のヨーロッパ政治史を代表する政治指導者の一人である。