心理学者 / psychoanalysis

カレン・ホーナイ
アメリカ合衆国 1885-09-16 ~ 1952-12-04
ドイツ生まれの精神分析家・精神科医(1885-1952)。新フロイト派の中核としてフロイトの本能論と「ペニス羨望」を批判し、神経症の起因を文化・社会・親子関係に求めた。『現代の神経症的人格』(1937)で10の神経症的欲求と3つの基本方向(従順/攻撃/離脱)を体系化。1941年にニューヨーク精神分析協会と決裂し米国精神分析研究所を設立、女性心理学・自己実現論の先駆者となった。
この人から学べること
ホーナイの「べきの暴政」は、SNS時代の自己像と理想像の乖離問題に直撃する診断概念である。インスタグラム的「あるべき自分」と現実自己のギャップが自己嫌悪を生み、「栄光の探求」が燃え尽きを招く—この力学は彼女が1950年に記述したものそのものだ。「人に向かう/逆らう/離れる」の3類型は職場関係診断にも応用でき、過剰な調和志向のリーダーも、攻撃的なリーダーも、引きこもる専門職も、それぞれ自己実現へ移行する道がある。投資判断では、ライバルへの「二次的羨望」と自分の価値基準を切り分ける視点が決定的に重要となる。
心に響く言葉
完璧に正常な人間は、我々の文明においては稀である。
The perfect normal person is rare in our civilization.
単純な事実として、男性は女性の出産能力を羨望しており、その羨望はペニス羨望よりはるかに強力かつ重要である。
The simple fact is that men are jealous of women's capacity to give birth, and that this jealousy is far more powerful and significant than penis envy.
神経症的な人は「べきの暴政」に駆り立てられ、偽りの完全性と自己嫌悪の間を振り子のように揺れ動く。
The neurotic person is driven by the tyranny of the should, oscillating between a false perfection and self-hate.
自己実現こそが、健康な人間の生涯にわたる目的である。
Self-realization is the healthy person's aim through life.
人生それ自体が、依然として最も効果的な治療者である。
Life itself still remains a very effective therapist.
生涯と功績
カレン・ホーナイ(旧姓ダニエルセン)は1885年9月16日、ドイツ・ハンブルク郊外ブランケネーゼでノルウェー系ドイツ人船長の父ベルント・ヴァッケルス・ダニエルセンと、オランダ系の母クロティルデの間に生まれた。父は厳格なプロテスタントで「聖書を投げつける」と子どもたちが冷やかすほどの権威主義者、母は知的だが抑うつ的だった。彼女は13歳から日記をつけ、女性が大学進学を許されない時代に医師を志した。1900年にドイツの大学が女性に門戸を開いた直後、1906年フライブルク大学医学部に入学、ゲッティンゲン・ベルリンを経て1911年に医学博士号を取得した最初期世代の女性医師となる。
1909年に同窓カール・ミュラー=ブラウンシュヴァイクを介して経済学生オスカー・ホーナイと結婚、1910年から第1子出産と両親の相次ぐ死去への対処として精神分析を受け始める—最初はカール・アーブラハムから500時間、続いてハンス・ザックスから。1920年にベルリン精神分析研究所の創設メンバーとなり、講師・研究者・臨床家として活動した。1923年に夫の事業が破綻、弟の早世も重なり彼女は二度目の深い抑うつに陥り、休暇中に海へ泳ぎ出して自殺を考えたほどだった。1926年に夫と別居、1937年に離婚する。
1923年から1935年にかけて女性心理学の論文13本を発表し、フロイトの「ペニス羨望」を真っ向から批判した。彼女は、女児の不安は男性器を持たないことそのものではなく、社会が女性性を価値低下することへの「二次的羨望」だと主張、男性側にも「子宮羨望(womb envy)」が存在し、男性の社会的達成への駆動はしばしば妊娠出産能力を持たない代償行動だと指摘した。1932年、ナチスの台頭とフロイトとの関係冷却化を受け、フランツ・アレクサンダーの招きでシカゴ精神分析研究所助手として渡米、2年後にブルックリンへ移った。ハリー・スタック・サリヴァン、エーリッヒ・フロムらと「文化学派」を形成、フロムとは恋愛関係も持ったが破局した。
1937年の『現代の神経症的人格』は一般読者にも届く大ヒットとなり、彼女の名声を一躍世界的にした。1939年の『精神分析の新しい道』、1942年の『自己分析』(最初期の本格的自助書のひとつ)、1945年の『私たちの内なる葛藤』、1950年の最終主著『神経症と人間の成長』へと続く著作群で、彼女は「10の神経症的欲求」と、それらを3類型—「人に向かう(従順)」「人に逆らう(攻撃)」「人から離れる(離脱)」—に集約する独自の人格理論を打ち立てた。神経症的人格は「べきの暴政(tyranny of shoulds)」に支配され、現実自己と理想自己の乖離から「栄光の探求」へ駆られると論じた点で、後のアブラハム・マズローの自己実現論・ヒューマニスティック心理学を先導した。
影の側面も大きい。1941年、彼女はニューヨーク精神分析協会の正統派フロイト派教義との対立から教育職を解任され、サリヴァン、フロム、クララ・トンプソンと共に「精神分析発展協会」と附属の米国精神分析研究所を設立した。しかし新設研究所内でも教義をめぐる派閥抗争が再燃、サリヴァンとフロムは1943年に離脱しウィリアム・アランソン・ホワイト研究所を作る。創始者として強い指導力を発揮したが、追随者を一枚岩で束ねることはできなかった。1930年代半ば以降は女性心理学から離れ、フェミニストとしての発言を再開することはなく、伝記作家ジャネット・セイヤーズは「彼女は集団的政治闘争には個人主義者すぎた」と評する。鈴木大拙との交流から禅仏教に深く傾倒し、自己実現の東洋思想的源泉を探求したが、その統合は未完のまま、1952年12月4日に胆嚢癌でニューヨークにて死去した。1955年に設立されたカレン・ホーナイ・クリニックは現在も低コスト精神療法を提供する拠点として彼女の遺産を伝えている。
専門家としての評価
新フロイト派・文化学派の中核であり、女性心理学を学問的に確立した先駆者。フロイト『ペニス羨望』への真正面からの批判と「子宮羨望」概念の提示は、ジェンダー心理学の出発点となった。10の神経症的欲求と3類型(従順/攻撃/離脱)、「べきの暴政」「栄光の探求」「自己実現」の理論はマズロー人間性心理学を先導した。一方でニューヨーク精神分析協会との対立(1941)、新設研究所内でのサリヴァン・フロムとの再分裂、1930年代半ば以降のフェミニズム言説からの撤退など、革新者でありつつ集団政治には個人主義的すぎた限界も顕著である。