心理学者 / social

スタンレー・ミルグラム
アメリカ合衆国 1933-08-15 ~ 1984-12-20
アメリカの社会心理学者(1933-1984)。ホロコーストとアイヒマン裁判に促され、1961年イェール大学で「権威への服従実験」を行った人物である。普通の人間が権威の命令で他者を傷つけうることを示したこの実験は20世紀社会心理学の古典となった。「小さな世界実験」では六次の隔たりの概念を生んでいる。倫理批判と再現性論争を抱えつつ、社会的影響研究の方向を決めた一人である。
この人から学べること
ミルグラム実験は、現代の職場や組織の倫理に直接効くツールである。上司の指示が「普通」に思えても、その先で誰かが傷つくと感じたら、自分が「代理的状態」に滑り落ちていないかを確認したい。彼が示したのは、悪意のない人間が責任感覚を失った瞬間に加害者になりうるという事実だった。具体策としては、不当な指示には根拠と責任の所在を確認する、議事録に異論を残す、外部の倫理窓口を知っておく、などが挙げられる。六次の隔たりは、SNSとビジネスネットワークの構造的理解にも直結する。
心に響く言葉
服従の本質とは、ある人物が自分を他者の意志を実行する道具と見なすようになり、その結果、自らの行為に責任があるとはもはや考えなくなることである。
The essence of obedience consists in the fact that a person comes to view himself as the instrument for carrying out another person's wishes, and he therefore no longer sees himself as responsible for his actions.
敵意などまったく持たない普通の人々が、ただ自分の仕事をするだけで、恐ろしい破壊の過程の担い手になりうる。
Ordinary people, simply doing their jobs, and without any particular hostility on their part, can become agents in a terrible destructive process.
驚くほど規則的に、善良な人々が権威の要求に屈服し、冷酷で過酷な行為を実行する姿が観察された。
With numbing regularity good people were seen to knuckle under the demands of authority and perform actions that were callous and severe.
責任感覚の消失こそ、権威への服従がもたらす最も広範な帰結である。
The disappearance of a sense of responsibility is the most far-reaching consequence of submission to authority.
個人として単独で行うなら考えられないような行為も、命令のもとでは何のためらいもなく実行されうる。
Behavior that is unthinkable in an individual ... acting on his own may be executed without hesitation when carried out under orders.
生涯と功績
スタンレー・ミルグラムは1933年8月15日、ニューヨーク市ブロンクスのユダヤ人家庭に生まれた。父はルーマニア出身のパン職人、母はハンガリー出身で、第一次大戦中に米国へ渡った移民であった。第二次大戦後、強制収容所を生き延びた親族が一時期ミルグラム家に身を寄せている。13歳のバル・ミツヴァ演説でヨーロッパ・ユダヤ人の悲劇を語った彼は、後に旧友への手紙で「自分は1922年にプラハで生まれ20年後にガス室で死ぬはずだった人間だ」と書き、ホロコーストへの強い同一化を生涯抱え続けた。
1954年、ニューヨーク市立大学クイーンズカレッジで政治学の学士号を取得。心理学の学部教育を受けないままハーバード大学の社会心理学博士課程に応募して当初は不合格となるが、夏期に集中受講して入学、1960年に博士号を得る。指導教官はソロモン・アッシュ。同じブロンクスのジェームズ・モンロー高校では、後にスタンフォード監獄実験で知られるフィリップ・ジンバルドーが同級生だった。1960年秋にイェール大学助教となった彼は、わずか3か月後にアドルフ・アイヒマン裁判が開始されるなか、リンスリー=チッテンデン・ホール地下で歴史に残る実験を始める。
服従実験の枠組みは独創的だった。「記憶と学習の研究」と告げられた被験者は「教師」役を割り当てられ、隣室の「学習者」(実は協力者)が単語連想を誤るたびに電圧を上げて電気ショックを与えるよう促される。学習者の絶叫や心臓発作を訴える演技が始まっても、白衣の実験者が「続けてください」と冷静に命じれば、約65%の被験者が最高電圧450ボルトまでスイッチを押し続けた。1963年『異常心理学・社会心理学誌』に発表されたこの結果は、人間の良心と権威構造の関係を一夜にして書き換える衝撃を持っていた。1974年に体系化された主著『権威への服従』は、AAAS社会心理学賞を受賞している。
影響は学問の枠を超えた。ベトナム戦争のソンミ村虐殺の解釈、警察取調べでの虚偽自白の説明、組織内ハラスメントの分析にこの枠組みは応用された。一方、心理学者ダイアナ・バウムリンドは1964年早くも実験倫理を批判し、被験者の精神的苦痛と事後ケアの不十分さを指摘した。アメリカ心理学会はミルグラムの入会承認を1年間留保し、後に研究倫理審査の基準は大きく見直されることになる。2009年にはジェリー・バーガーが安全性を高めた条件で部分追試を行い、現代でも約70%が高電圧まで進む結果を得て、基本知見の頑健さと同時に解釈の多義性を再提起した。
ミルグラムの仕事は服従実験に尽きない。1967年の小さな世界実験では、ネブラスカ州オマハの一般人160名にボストンの株式仲買人へ手紙を友人連鎖で届けるよう依頼し、平均約6人の知人を介して到達するという「六次の隔たり」の経験的根拠を示した。「失われた手紙」実験で社会的態度を測る手法も開発し、晩年は対話者の言葉を別人が遠隔で供給する「シラノイド」と呼ばれるハイブリッド対話の研究にも取り組んだ。1984年12月20日、ニューヨーク市で5度目の心臓発作により51歳で世を去った。短い生涯のすべてを「普通の人がなぜ恐ろしいことをするのか」という問いに捧げた研究者だった。
専門家としての評価
ミルグラムは20世紀社会心理学を代表する実験家であり、ジンバルドーやアッシュと並ぶ「状況の力」研究の中軸を担う。服従実験は社会心理学の古典中の古典として教科書に刻まれ、悪の凡庸さや組織犯罪の理解枠組みに繰り返し参照される。同時に被験者の精神的負担をめぐる研究倫理批判、結果解釈の多義性、内的妥当性をめぐる議論も継続している。小さな世界仮説は社会ネットワーク科学の出発点でもあり、彼の研究範囲は服従実験に留まらない総合的な社会心理学者であった。