経済学者 / classical
Adam Smith
イギリス 1723-06-01 ~ 1790-07-17
1723年スコットランド生まれ、道徳哲学者にして近代経済学の創始者。主著『国富論』(1776年)で分業と市場メカニズムの自律的秩序を体系化し、重商主義の常識を根底から覆した。もう一つの主著『道徳感情論』では人間の共感能力を道徳の基盤と論じ、利己心と共感という二つの力が社会秩序を形成する構造を解き明かした啓蒙の巨人である。
この人から学べること
スミスの思想は現代の経済的意思決定に三つの示唆を与える。第一に「見えざる手」の原理は、中央集権的計画よりも分散的な市場メカニズムが効率的であることを示すが、同時にスミスが警告した独占や共謀の問題は、巨大テック企業の市場支配という形で現代に再現されている。投資家は企業の競争優位性を評価する際、その優位性が消費者利益と両立するか、規制リスクを孕んでいるかを見極める必要がある。第二に、スミスの分業論は現代のグローバルサプライチェーンの理論的基盤であり、各国が比較優位に特化することの利益を説くが、パンデミックや地政学リスクによるサプライチェーン断絶は、過度な専門化の脆弱性を露呈した。第三に、『道徳感情論』の共感理論は、ESG投資やステークホルダー資本主義の思想的先駆である。利益追求と社会的責任は二律背反ではなく、長期的には共感に基づく信頼こそが持続的な経済活動の基盤となる。
心に響く言葉
貧者の真の悲劇は、その志の貧しさにある。
The real tragedy of the poor is the poverty of their aspirations.
金を使う技術だけが教えられるあらゆる機関で最初に教えられるのは、金を使うことである。
The first thing taught in all institutions where the art of spending money is the only art taught, is to spend money.
科学は、熱狂と迷信という毒に対する偉大な解毒剤である。
Science is the great antidote to the poison of enthusiasm and superstition.
構成員の大多数が貧しく惨めである社会が、繁栄し幸福であるはずがない。
No society can surely be flourishing and happy, of which the far greater part of the members are poor and miserable.
我々が夕食を期待するのは、肉屋や酒屋やパン屋の善意からではなく、彼ら自身の利益への配慮からである。
It is not from the benevolence of the butcher, the brewer, or the baker that we expect our dinner, but from their regard to their own interest.
各個人は公共の利益を促進しようと意図しているわけでもなく、どれほど促進しているかも知らない。彼は見えざる手に導かれて、自らの意図の一部ではない目的を促進するのである。
Every individual... neither intends to promote the public interest, nor knows how much he is promoting it... he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention.
生涯と功績
アダム・スミスは「経済学の父」として広く知られるが、その知的営みの本質は道徳哲学にあった。利己的な個人がなぜ互いに協力し、社会全体の繁栄を生み出すのか。この根本的な問いに対し、スミスは倫理学と経済学の両面から体系的な回答を試みた人物である。
1723年、スコットランド東海岸の港町カコーディに生まれたスミスは、税関吏であった父を生後間もなく亡くし、母マーガレットの手厚い庇護のもとで育った。母子の絆は深く、スミスは生涯独身を通し、母が亡くなる1784年まで共に暮らしている。幼少期から知的好奇心が旺盛で、14歳でグラスゴー大学に入学すると、道徳哲学者フランシス・ハッチソンの講義に感銘を受けた。ハッチソンは自然法思想を基盤に人間の道徳感覚を論じた人物であり、スミスの思想的出発点となる。その後オックスフォード大学ベイリオル・カレッジに進むが、硬直した教育体制に失望し、6年間をほぼ独学で古典の渉猟に費やした。この体験は後に『国富論』で大学教育の非効率性を鋭く批判する原体験となった。
スコットランドに帰郷したスミスは、1748年からエディンバラで文学・法学の公開講義を行い、知識人社会での評価を高める。1751年にグラスゴー大学論理学教授に就任し、翌年には道徳哲学教授に転任した。この時期に哲学者デイヴィッド・ヒュームと深い親交を結び、経験論哲学や因果関係の本質について知的対話を重ねている。スミスは後にこのグラスゴー時代を「人生で最も幸せで名誉ある時期」と回顧している。1759年に出版した『道徳感情論』では、人間が他者の立場に身を置いて感情を想像する「共感(sympathy)」の能力を道徳判断の基盤として論じ、ヨーロッパ知識人社会で高い評価を得た。
1764年、スミスは大学を辞してスコットランド貴族ヘンリー・スコットの家庭教師に就き、約3年間フランス・スイスを遊学する。パリでは重農学派のフランソワ・ケネーやテュルゴーと交流し、経済が自然法則に従って循環するという構想に大きな刺激を受けた。特にケネーの「経済表」は、経済全体を一つの循環体系として捉える視座をスミスに与えたとされる。帰国後、故郷カコーディに隠棲して10年もの歳月を費やし、1776年に主著『諸国民の富の性質と原因の研究(国富論)』を世に出した。
『国富論』が示した最大の洞察は二つある。一つは分業による生産性の飛躍的向上であり、冒頭のピン工場の例え話は経済学で最も有名な比喩の一つとなった。もう一つは、個々人が自己の利益を追求する行動が、市場における価格メカニズムを通じて社会全体の資源配分を効率化するという発見である。スミスはこれを「見えざる手」と表現した。しかし見過ごされがちなのは、スミスが市場万能論者では決してなかったという事実である。彼は分業の深化が労働者の知的・精神的能力を荒廃させる危険性を指摘し、公教育の必要性を説いた。また商人たちが結託して価格を吊り上げる傾向への警告を繰り返し、独占への強い懸念を示している。
スミスの思想体系における最大の独自性は、道徳哲学と経済分析の有機的統合にある。『道徳感情論』の共感理論と『国富論』の自己利益論は一見矛盾するように映り、後世「アダム・スミス問題」と呼ばれたが、両者は人間行動の異なる局面を照射した補完関係にある。市場での利己心の追求は、道徳的共感が醸成する信頼と公正という社会的基盤の上でこそ健全に機能するのである。
1778年にスコットランド関税委員に就任したスミスは、自由貿易の理論を唱えながら関税行政の実務に携わるという逆説的な晩年を送った。1790年、67歳で病没する数日前、友人に命じて未刊行草稿の大半を焼却させた。「法と統治の一般原理」に関する書物の構想を実現できぬまま、完璧主義者としての矜持を最後まで貫いた生涯であった。
専門家としての評価
スミスは経済学史において、重商主義から古典派経済学への転換点に立つ人物である。ケネーの重農主義から影響を受けつつも、農業偏重を超えて製造業・商業を含む包括的な富の理論を構築した。リカードやマルサスといった後続の古典派経済学者たちはスミスの体系を出発点とし、マルクスもまた『国富論』の労働価値説を批判的に継承した。市場メカニズムへの信頼という点でハイエクやフリードマンの先駆者であると同時に、市場の失敗への警戒という点でケインズ的介入論の萌芽も含む、極めて多面的な思想家である。