心理学者 / social

レオン・フェスティンガー
アメリカ合衆国 1919-05-08 ~ 1989-02-11
アメリカの社会心理学者 (1919-1989)。1954年に社会的比較理論、1957年に認知的不協和理論を提唱し20世紀の社会心理学を実験科学へ転換させた。1956年『予言がはずれるとき』では終末カルトに潜入し、信念が反証された後の信仰強化現象を観察。スキナー、ピアジェ、フロイト、バンデューラに次ぎ20世紀5番目に引用された心理学者と評価される一方、カルト潜入の研究倫理は後年まで論争となった。
この人から学べること
認知的不協和理論は現代の投資・経営で最も実用的な心理モデルである。サンクコストの呪縛で含み損ポジションを正当化する歪みは不協和低減の典型であり、優れた投資家は週次で「今そのポジションを持っていないとして新規に買うか」と問い直し意図的に不協和を増大させる。SNS時代の比較疲労は1954年社会的比較理論が予見した上方比較駆動の極端な現れで、参照群を絞ることが精神衛生の核となる。『予言がはずれるとき』の「反証で信念はむしろ強化される」現象は現代のエコーチェンバーをそのまま予言する。会議冒頭で「自分が間違っている確率」を全員に書かせる――それが本理論の最も実用的応用である。
心に響く言葉
不協和の存在は心理的に不快であるため、人をしてその不協和を低減し協和を達成しようと動機づける。
The existence of dissonance, being psychologically uncomfortable, will motivate the person to try to reduce the dissonance and achieve consonance.
不協和が存在するとき、人はそれを低減しようとするだけでなく、不協和を増大させそうな状況や情報を積極的に回避する。
When dissonance is present, in addition to trying to reduce it, the person will actively avoid situations and information which would likely increase the dissonance.
ヒトという有機体には、自らの意見と能力を評価しようとする駆動力が存在する。
There exists, in the human organism, a drive to evaluate his opinion and abilities.
確信を抱いた人間ほど変えがたい者はいない。反対意見を述べれば顔をそむけ、事実や数字を示せばその情報源を疑い、論理に訴えても要点を見ようとしない。
A man with a conviction is a hard man to change. Tell him you disagree and he turns away. Show him facts or figures and he questions your sources. Appeal to logic and he fails to see your point.
研究はしばしば、より大きな問題ではなく、先行研究の些細な不明点に向けられていく。進行中の研究が分野そのものを定義してしまうがゆえに、人は根本的な問題を見失うのである。
Research can increasingly address itself to minor unclarities in prior research rather than to larger issues; people can lose sight of the basic problems because the field becomes defined by the ongoing research.
生涯と功績
レオン・フェスティンガーは1919年5月8日、ニューヨーク・ブルックリンでロシア系ユダヤ人移民の家に生まれた。父アレックスは刺繍工場の経営者で「ロシアを急進主義者・無神論者として去り、生涯その信念に忠実だった」と伝えられる。フェスティンガー自身も生涯フリー・シンカーかつ無神論者であった。ボーイズ・ハイスクールを経て1939年ニューヨーク市立大学シティ・カレッジで心理学の学士、1942年にアイオワ大学で博士号を取得した。アイオワでの指導教官は「現代社会心理学の父」と呼ばれるクルト・レヴィン。だが本人の述懐によれば、彼はアイオワ在学中ただの一度も社会心理学の講義を取らず、「社会心理学研究の方法論の緩さ、データとレヴィン的概念との関係の曖昧さは、私の若い厳密性への傾倒には魅力的でなかった」と語っている。代わりに彼は意思決定の定量モデル、要求水準、ラットの実験などに取り組み、1946年には独立にウィルコクソンの順位和検定と統計的に等価な検定を発表している。
第二次大戦中はロチェスター大学で陸軍航空隊操縦士選抜訓練の統計官を務め、1945年レヴィンが MIT に設立した集団力学研究センターに参加して人生の転機を迎える。本人の言葉では「私はここで成り行きで社会心理学者になった」。レヴィン没後の1948年に研究センターはミシガン大学に移り、フェスティンガーも1951年ミネソタ大学、1955年スタンフォード大学へと拠点を移していく。MIT 時代の学生寮研究で発見した「近接性効果 (propinquity)」は、友人関係が思想の類似ではなく物理的・機能的距離によって規定されることを示した古典である。1950年論文「非公式社会的コミュニケーション」では集団内の意見の不一致が圧力を生み、集団規範を形成するメカニズムを定式化した。1954年論文「社会的比較過程の理論」は、人間が自分の意見と能力を正確に評価しようとする内的欲動を持ち、客観的尺度がない場合は他者との比較に頼ると主張した9命題から成る。これは現代のSNS時代における比較疲労研究の原典でもある。
1957年刊行の『認知的不協和の理論』は彼の代表作である。1934年インド大地震の流言研究から着想を得たこの理論は、矛盾する認知を同時に抱えることが心理的不快を生み、人はそれを低減すべく行動・認知・情報選択を変化させるとする。1959年カールスミスとの古典実験では、退屈な作業を「面白かった」と次の被験者に偽った学生のうち報酬1ドル群が報酬20ドル群より作業を高く評価したことを示し、外的報酬が小さい方が態度変容が大きいという行動主義に反する結果を実証した。1959年アメリカ心理学会特別科学貢献賞受賞、フォーチュン誌の「アメリカで最も将来有望な科学者10人」にも選出された。1956年共著『予言がはずれるとき』はドロシー・マーティン (仮名キーチ夫人) 率いる UFO 終末カルトに研究者が信者として潜入し、12月21日の予言が外れた後にむしろ布教熱が高まる過程を観察した報告である。これは belief perseverance (信念固執) の最初の実験的証拠とされる一方、潜入研究としての倫理は今日まで議論の対象となっている。
1964年にフェスティンガーは突如として社会心理学を離れ視覚知覚研究 (眼球運動・色覚) に転じた。「自分が轍にはまっており、新たな知的刺激が必要だ」というのが理由である。1979年には知覚研究も閉じ、考古学・古代史・人類進化に関心を移して1983年『The Human Legacy』を刊行した。1989年2月11日、癌のため治療を拒否して死去、享年69。1980年代の自己回顧では「40年間という長さの割に進歩は速くなく、しかも我々は重要な問題に取り組んでこなかったように思える」と率直に述べている。スキナー、ピアジェ、フロイト、バンデューラに次ぎ20世紀5番目に引用された心理学者と評価され、認知的不協和は「社会心理学最大の業績」とされるが、彼が残したのはむしろ「人間は理由を後付けし、信じたい事実を補強する存在である」という近代政治・マーケティング・SNSアルゴリズムにまで貫流する厳しい人間観そのものだった。
専門家としての評価
20世紀社会心理学を「行動主義の刺激-反応モデル」から「思考する有機体の動的合理化過程」へと転換させた最重要人物。認知的不協和理論と社会的比較理論は『社会心理学の最も実り豊かな二大理論』と評され、スキナー、ピアジェ、フロイト、バンデューラに次ぎ20世紀5番目に引用された心理学者。一方カルト潜入研究の倫理、認知的不協和の再現性論争、応用と理論の溝といった批判も同時に背負った巨星である。