心理学者 / experimental

ヴォルフガング・ケーラー
ドイツ 1887-01-21 ~ 1967-06-11
ドイツ・アメリカの心理学者・ゲシュタルト心理学の創始者の一人 (1887-1967)。1913-17年テネリフェ島でチンパンジーが試行錯誤ではなく「洞察」によって問題を解くことを実証した。1933年ナチス政権下で反抗を公然と表明し、最後にナチスを公然攻撃した記事を残した。1935年に米国亡命、スワースモア大学で20年教鞭を執った。
この人から学べること
ケーラーの「洞察学習」は、現代のビジネスとイノベーションにとって最も重要な学習モデルの一つである。試行錯誤 (S-R 型学習) と洞察 (ゲシュタルト型学習) の二つの異なるメカニズムがあり、後者は問題の構造そのものを認識した瞬間に「揺るぎなく目的的に」解決が遂行される。起業家や投資家のキャリアを支えるのは反復的試行錯誤よりも、産業構造を一望した瞬間に「ああ、そういうことか」と来るゲシュタルト的洞察である。彼の人生はもう一つの教訓を与える――1933年ナチス支配下で、教授就任宣誓を拒否し公然と体制批判記事を書いた勇気である。最後まで踏みとどまった非ユダヤ系大学人として、彼は組織的迫害が始まったときに「公然と書く」ことを選んだ。現代の組織内コンプライアンス、SNSでの言論統制が進む時代、ケーラーの記事はいかにして体制が圧倒的に見えても良心の声を表明できるかという、最も実証的なケーススタディである。
心に響く言葉
全体とは、部分の和とは別物である。
The whole is something else than the sum of its parts.
チンパンジーは解決策を掴むと、揺るぎなく目的的なやり方でそれを実行する。
The chimpanzees, when they have grasped the solution, proceed to carry it out in a way which is unwaveringly purposeful.
彼ら (チンパンジー) の脳の構造は、下位類人猿の化学的性質よりも、人体と脳構造の化学に近い。
The structure of their brains is more closely related to the chemistry of the human body and brain-structure than to the chemical nature of the lower apes.
今こそ我々は問うべきだ。我々の価値基準を他者の人生における価値の尺度として用いる権利が、本当に我々にあるのかと。
Now is the time to ask whether we have any right to apply our standard of value as a measure of what is valuable in the lives of others.
ドイツの大学で生きてきた我々は、教える自由が破壊された場所で教えることを拒否する義務を、科学と自分自身に対して負っている。
We who have lived in the universities of Germany owe it to our science and to ourselves to refuse to teach where the freedom of teaching has been destroyed.
生涯と功績
ヴォルフガング・ケーラーは1887年1月21日、エストニアのレヴァル (現タリン) でドイツ系バルト人の家庭に生まれた。一家は彼が幼い頃にドイツへ移住する。テュービンゲン大学 (1905-06)、ボン大学 (1906-07) を経てベルリン大学 (1907-09) に進み、物理学のマックス・プランクと心理学のカール・シュトゥンプという二大師に師事した。シュトゥンプの指導のもと1909年に「音響学的探究」(Akustische Untersuchungen) と題する心理音響学の博士論文を完成した。物理学と心理学の双方を本格的に修めたという経歴は、後年「ゲシュタルト・クオリティーは脳内の物理的場と対応する」という彼独自の場理論的見解を可能にする土台となる。
1910年にフランクフルト心理学研究所の助手となり、マックス・ヴェルトハイマー、クルト・コフカと出会う。ヴェルトハイマーが行なった「仮現運動」(phi 現象) の研究では彼とコフカが被験者となり、この共同研究からゲシュタルト心理学が誕生する。1913年、プロイセン科学アカデミーがテネリフェ島に開設した類人猿研究所所長に任命され、第一次大戦の戦火で帰国できず6年間 (1913-1920) 滞在することになった。この期間にチンパンジーの問題解決行動を観察し、1917年『類人猿の知能検査』として発表した。手の届かないバナナを取るために木箱を積み重ねる、棒で長さを延長する――こうした行動はエドワード・ソーンダイクが主張した「試行錯誤」では説明できず、解を「洞察」した瞬間に「不揺るぎなく目的的に」(unwaveringly purposeful) 実行されると論じた。これは思考心理学の転換点となる。
1920年ドイツに戻り、シュトゥンプの後任としてベルリン大学心理学研究所の所長に就任、1935年までの15年間ベルリン学派を率いた。クルト・レヴィン、カール・ドゥンカー、フォン・レストルフら錚々たる若手を集め、雑誌『Psychologische Forschung』を共同創刊。1928年には英米の読者向けに『Gestalt Psychology』(1929) を著した。「全体は部分の和とは異なる (different)」――彼自身の命題は後に「全体は部分の和より大きい (greater)」と誤って引用されることになるが、彼の意図は「全体は部分の単なる集合とは質的に別物」という、より強い主張であった。
1933年1月にナチス党が政権を握ると、ユダヤ系教員の追放が始まる。ケーラーは最後まで踏みとどまった非ユダヤ系大学人の一人として、1933年4月28日に『ドイチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング』紙に「ドイツでの対話」(Gespräche in Deutschland) を発表し、ナチス政権を公然と批判した――これはナチス支配下のドイツで合法的に出版された最後の公然たる体制批判記事として歴史に刻まれる。即時逮捕を覚悟したが、ナチスは動かず、4ヶ月にわたり再版が配布され続けた。1933年11月に教授がナチス式敬礼を授業冒頭で行うよう求められた時、彼は学生たちに「私の信念に反するので行うことはできない」と公言した。学生からのナチス式査察と圧力に屈さず1935年に辞職、米国に亡命する。ペンシルベニア州スワースモア大学が教授職を提供し、20年間ここで教鞭を執った。1956年ダートマス大学研究教授、同年アメリカ心理学会会長、APA特別科学貢献賞受賞。1967年6月11日にニューハンプシャー州エンフィールドで死去。
専門家としての評価
ゲシュタルト心理学の創始者三人 (ヴェルトハイマー、コフカ、ケーラー) のうち、最も長く活動を続けた重鎮。物理学と心理学の架橋を試み、「ゲシュタルト場」を脳内の物理的電場として説明する独自の場理論を構築した。チンパンジーの洞察学習研究は今もライプツィヒのマックス・プランク進化人類学研究所内「ヴォルフガング・ケーラー霊長類研究センター」として継承されている。2002年の総合学術調査では20世紀50番目に著名な心理学者と評価。