政治家 / european_statesman

シャルル・ド・ゴール

シャルル・ド・ゴール

フランス 1890-11-22 ~ 1970-11-09

フランスの軍人・政治家(1890-1970)。第二次世界大戦中、ロンドンで自由フランスを樹立しレジスタンスと共闘、1944年に祖国を解放した英雄である。1958年のアルジェリア危機を契機に第五共和制を創設し初代大統領として10年間在任、NATO軍事機構からの脱退や独自の核武装で「ド・ゴール主義」を確立した。

この人から学べること

ド・ゴールから現代の経営者・政治家が学ぶ第一は、「敗北の中での主体性の宣言」である。1940年6月、フランス政府がドイツに降伏する中で、彼はロンドンから「フランスは戦争には敗けていない」と宣言した。この主体性宣言は、買収後のリーダー、敗戦処理を担う経営者、危機に直面したスタートアップ創業者にとっての古典的指針である。第二は「制度設計の力」である。第五共和政憲法は議会制の弱点を見抜いた強い大統領制を作り、半世紀以上経った今も機能している。組織の構造設計は短期的な人事よりも長期的なパフォーマンスを決定する。第三は「同盟関係における自立」である。彼はNATO脱退、独自の核武装、英国EEC加盟拒否で米英中心の枠組みに対する代替を提示した。これは現代の中堅企業・国家が大企業/超大国の枠組みに飲み込まれないための戦略的指針である。同時に、ケベック発言の外交事故は、強烈な個性が判断を歪める典型例として警鐘でもある。

心に響く言葉

生涯と功績

シャルル・アンドレ・ジョゼフ・マリー・ド・ゴールは1890年11月22日、フランス北部の工業都市リールでイエズス会学院校長アンリの三男として生まれた。父はカトリック保守、母はアイルランド・スコットランド・ドイツの血を引く実業家系。歴史と古典文学を愛する家庭環境の中で育ち、16歳の時に「1930年にド・ゴール将軍がドイツに勝利する」という戯曲を書いている。1909年サン・シール陸軍士官学校に入学、身長193cmの巨躯から「アスパラガス」「コネターブル(大将軍)」とあだ名された。

第一次世界大戦では大尉として戦い、1916年ヴェルダン戦のドゥオモン要塞で負傷・捕虜となり、5度の脱獄を試みるも全て失敗した。戦間期はフィリップ・ペタン元帥の薫陶を受けつつ、機甲化部隊・戦車集中運用の理論家として『機甲化軍にむけて』(1934年)、『フランスとその軍隊』(1938年)を著した。皮肉にも、彼の戦車理論を最も真剣に読んだのはアドルフ・ヒトラーだった。

1940年5月のドイツ侵攻で、彼は新編第4機甲師団長として反撃を指揮、49歳で旅団将軍に昇進した。レノー内閣の国防次官に任命された後、6月のフランス降伏に反対しロンドンに亡命。6月18日のBBCラジオ演説で「フランスは戦闘には敗けたが戦争には敗けていない」と宣言、自由フランスを樹立した。1944年6月のノルマンディー上陸作戦後、8月25日にパリを解放、エトワール凱旋門からシャンゼリゼを行進した姿は20世紀フランス史の象徴的瞬間となった。

1946年に首相を辞任、1953-1958年は政界から退き回想録『大戦回顧録』(全3巻)を執筆した。これはフランス文学の名著として今も読まれている。1958年5月のアルジェリア危機で再登板、第五共和政憲法(大統領権限強化、二回投票制)を起草、9月の国民投票で80%近い支持を得て、1959年1月に第18代大統領に就任した。アルジェリア独立承認(1962年)、独自の核武装(1960年初の原爆実験)、1966年NATO軍事機構脱退、英国EEC加盟への二度の拒否権発動など、米英から距離を取る「独自路線(ド・ゴール主義)」を断行した。

しかし功罪両論ある。カナダ訪問時の「自由ケベック万歳!」発言(1967年)はカナダとの外交問題に発展、ビアフラ戦争でのナイジェリア分離独立支援は仏石油権益狙いとの批判を生んだ。1968年5月、学生運動「五月革命」が彼の権威主義的体制を揺さぶり、議会選挙で勝利したものの、1969年の地方制度改革国民投票敗北を機に辞任。1970年11月9日、コロンベ・レ・ドゥ・ゼグリーズで79歳で死去。「いまや、フランスは未亡人となってしまった」と後継ポンピドゥー大統領が述べた。彼が生涯遭遇した暗殺未遂は31件に及ぶ。彼の政治哲学を継承する「ゴーリスト(ド・ゴール主義者)」は現代フランス政治の右派・中道右派の核心潮流であり続けており、ジョルジュ・ポンピドゥー、ジャック・シラク、ニコラ・サルコジら歴代の大統領に継承されている。1963年エリゼ条約による独仏和解の盟友コンラート・アデナウアーとの個人的友情は、現在のEUの基盤となっており、戦争で何度も衝突した両国の関係を「父祖代々の敵」から「最も親密な隣国」へと転換させた歴史的偉業である。彼の身長193cmの巨躯は陸大時代「アスパラガス」と呼ばれ、また同年生まれのエッフェル塔と並べて「エッフェル塔大尉」とも呼ばれていた。

専門家としての評価

20世紀フランス政治史において、ド・ゴールは「敗北の中で国家を再定義した政治家」として比較対象を持たない。第二次世界大戦中の自由フランス樹立、第五共和政の創設という二度の国家再生を主導した稀有な政治家である。一方で、彼の権威主義的傾向、ケベック発言、ビアフラ戦争介入は批判の対象であり、フランス国内でも左派と右派の双方から論争を呼び続ける21世紀の偉人像となっており、その遺産は今もフランス政治の核心潮流である。

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よくある質問

シャルル・ド・ゴールとは?
フランスの軍人・政治家(1890-1970)。第二次世界大戦中、ロンドンで自由フランスを樹立しレジスタンスと共闘、1944年に祖国を解放した英雄である。1958年のアルジェリア危機を契機に第五共和制を創設し初代大統領として10年間在任、NATO軍事機構からの脱退や独自の核武装で「ド・ゴール主義」を確立した。
シャルル・ド・ゴールの有名な名言は?
シャルル・ド・ゴールの代表的な名言として、次の言葉があります:"フランスは戦闘には敗けた、しかし戦争には敗けていない。"
シャルル・ド・ゴールから何を学べるか?
ド・ゴールから現代の経営者・政治家が学ぶ第一は、「敗北の中での主体性の宣言」である。1940年6月、フランス政府がドイツに降伏する中で、彼はロンドンから「フランスは戦争には敗けていない」と宣言した。この主体性宣言は、買収後のリーダー、敗戦処理を担う経営者、危機に直面したスタートアップ創業者にとっての古典的指針である。第二は「制度設計の力」である。第五共和政憲法は議会制の弱点を見抜いた強い大統領制を作り、半世紀以上経った今も機能している。組織の構造設計は短期的な人事よりも長期的なパフォーマンスを決定する。第三は「同盟関係における自立」である。彼はNATO脱退、独自の核武装、英国EEC加盟拒否で米英中心の枠組みに対する代替を提示した。これは現代の中堅企業・国家が大企業/超大国の枠組みに飲み込まれないための戦略的指針である。同時に、ケベック発言の外交事故は、強烈な個性が判断を歪める典型例として警鐘でもある。