政治家 / ancient_roman

マルクス・リキニウス・クラッスス
イタリア -0114-01-0 ~ -0052-06-0
共和政ローマ末期の政治家・将軍(前115-前53)。スッラ独裁下のプロスクリプティオで没収財産を買い漁って巨富を築き、「ローマ一の金持ち」と呼ばれた。スパルタクス反乱を十分の一刑復活と6,000人の磔刑で鎮圧し、ポンペイウス・カエサルと第一回三頭政治を結成したが、軍功への執着からパルティア遠征を強行し、カルラエの戦いで敗死した政治家である。
この人から学べること
クラッススは「富と権力を結びつけた指導者の失敗パターン」を学ぶ教科書である。彼の蓄財術は災厄からの利益最大化(プロスクリプティオでの底値買い、火災現場での値切り交渉)であり、現代の「ショック・ドクトリン」型ビジネスの原型だ。財をなした後の彼が陥った罠は、ポンペイウスとカエサルへの軍功嫉妬から未経験のパルティア遠征を強行したことである。これは現代経営者が他社のM&A実績に焦り、自社の能力サークル外に資本投下して破綻する構図と重なる。バフェットの「理解できる事業にしか投資しない」原則の反対側に、クラッススの墓は静かに立っている。
心に響く言葉
自分の軍隊を養えない者を金持ちとは呼べない。
Nemo dives sine exercitu habendus est.
クラッススは角に秣(まぐさ)をつけている(=突き掛かる危険な牛として警戒すべき相手だ)。
Crassus is feeding hay on his horns.
我々が攻めているのは、お前の父や兄弟を討った敵なのだ。
The men we are attacking are the enemies who killed your father and your brother.
彼は公共の災厄をこそ最大の収入源とした。
He made the public calamities his greatest source of revenue.
私は敵に欺かれて死ぬのであって、市民諸君に裏切られて敵に売り渡されるのではない。
I die deceived by the enemy, not betrayed by my fellow-citizens.
生涯と功績
マルクス・リキニウス・クラッススは紀元前115年頃、執政官プブリウス・リキニウス・クラッススを父とする三兄弟の末子として生まれた。父と上の兄はマリウス派の粛清で命を落とし、彼自身は前87年にヒスパニアへ亡命した。父の旧クリエンテスから2,500人の私兵を集めて再起し、独裁官スッラの陣営に加わって前82年のポルタ・コッリナの戦いで右翼を指揮し、決定的勝利に貢献した。スッラの寵を得たクラッススは、勝者となった独裁官が断行したプロスクリプティオ(政敵の財産没収)の競売で土地・邸宅を底値で買い漁る。この時、リストに無かった人物の名前を自ら追加させて財産を奪ったとプルタルコスは記録する。
蓄財の手口はそれにとどまらない。火事が日常茶飯事だったローマで、彼は500人の建築奴隷と消防部隊を抱え、燃える家の前で所有者と値切り交渉を行った。売却に応じれば消火し、拒めば焼け落ちるに任せたうえ周辺の隣家まで叩き売りで買い上げ、修復して賃貸した。プリニウスは彼の財産を2億セステルティウス、プルタルコスは7,100タレント(約229トンの銀)と記す。プルタルコスは率直に「公共の災厄をこそ最大の収入源とした」と断罪する。同時期、彼はカエサルの政治献金者として若き野心家を支え、ユピテル神官選挙の資金まで提供した。
前73年、剣闘士スパルタクスが率いる第三次奴隷戦争で執政官軍が連敗すると、クラッススは自費で軍を編成して鎮圧に乗り出した。一隊が敵前逃亡した際、彼は古代の十分の一刑(decimatio)を復活させ、籤で選ばれた兵士を仲間の前で処刑した。プルタルコスは「兵士はクラッススを敵よりも恐ろしいと感じた」と記す。前71年、シラルス川の戦いでスパルタクスを討ち取り、捕虜6,000人をアッピア街道沿いに磔にして死体を晒し続けた。だが奴隷戦争を「終わらせた」功はヒスパニアから戻ったポンペイウスに横取りされ、両者の確執は終生消えなかった。前70年に共に執政官に選出されたが、二人は議事ごとに対立し、「成果を生まない執政官職」と評された。
前60年、カエサルの仲介でポンペイウスと和解し、三者が国政を密室で決める第一回三頭政治を結成した。前55年に再びポンペイウスと執政官を務めた後、シリア属州総督に就いて軍功への渇望からパルティア遠征を強行した。アルメニア王アルタウァスデス2世が補給路の安全な侵入路を提案したが、それを退け砂漠地帯を直行する道を選ぶ。前53年、カルラエ(現トルコ・ハッラーン)でスレナス率いるパルティアの弓騎兵による「パルティアン・ショット」の前に大敗。息子プブリウスを失い、停戦交渉中に殺害された。プルタルコスは「金への渇きを嘲るため、溶けた黄金を口に注がれた」という伝説を伝える。彼の死は三頭政治の均衡を崩し、4年後のカエサルのルビコン渡河と内戦を招いた。功罪の振幅が極めて大きく、富と権力を結びつけた政治家の原型として、後世まで「クラッスス的」という形容詞を生んだ人物である。
専門家としての評価
共和政末期の政治史で、クラッススは「富と権力の交換可能性を体現した政治家」の原型として位置づけられる。カエサルが軍事と政治的天才、ポンペイウスが市民人気と軍功で勢力を築いたのに対し、彼は資金で人を動かす政治運営の先駆者だった。プロスクリプティオ買占めや火災買い叩きという蓄財手段の暗さが、その後ローマ皇帝期に繰り返される「富による権力」の腐敗類型の祖型を成す。第三次奴隷戦争鎮圧と十分の一刑復活の冷酷さ、カルラエ戦の戦略的拙劣さは、政治家の評価が功罪両論で揺れ続ける典型例である。