あなたは魚ではない。どうして魚の楽しみが分かるのか。
子非魚、安知魚之楽。

哲学者
荘子
紀元前4世紀の中国戦国時代、宋の蒙に生まれた道家思想の大成者。胡蝶の夢や庖丁解牛の寓話など鮮烈な物語を通じて万物の相対性と「無為自然」の境地を説き、老子とともに道教の二大古典である『荘子』全三十三篇を残した。権力を拒み精神の自由を貫いたその生き方と思想は、二千三百年を経た今なお東西の哲学に影響を与え続けている。
この偉人の詳細を見る
出典: 荘子 外篇 秋水Verified
荘子の他の名言
かつて荘周は夢に蝶となった。ひらひらと飛ぶ蝶そのものであり、自ら楽しんで荘周であることを知らなかった。ふと目覚めると、まぎれもなく荘周である。荘周が夢に蝶となったのか、蝶が夢に荘周となっているのか、分からない。
我が生には限りがあるが、知には限りがない。限りあるものをもって限りなきものを追えば、危ういだけである。
北の果ての海に魚がいる。その名を鯤という。鯤の大きさは幾千里とも知れない。変じて鳥となる。その名を鵬という。鵬の背は幾千里とも知れない。
庖丁が文恵君のために牛を解体した。手が触れ、肩が寄り、足が踏み、膝が当たる。骨と肉が離れる音は、すべて音律にかなっていた。
天地は我とともに生じ、万物は我と一体である。