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ドワイト・D・アイゼンハワー

ドワイト・D・アイゼンハワー

アメリカ合衆国 1890-10-14 ~ 1969-03-28

第34代アメリカ大統領(1890-1969)。連合国遠征軍最高司令官としてノルマンディー上陸作戦を指揮、欧州戦勝利の立役者となった軍人出身大統領。在任1953-61年に朝鮮戦争休戦、州際高速道路網建設、NASA設立を実現。退任演説で「軍産複合体」の影響力増大を警告した冷戦期の現実主義者として知られる。

この人から学べること

アイゼンハワーから現代の経営者が学べる第一は「調整能力こそ最大の戦略資源」である。450万人の連合軍を率い、チャーチル、ド・ゴール、モントゴメリー、パットンという個性派指揮官たちを束ねた。M&A後の企業統合やグローバル組織のリーダーは、異質な文化と利害を持つ部下を機能させる必要があり、彼の「物腰は優雅に、行動は力強く」のモットーは現代の調整リーダーシップの古典である。第二は「権力への自己批判の勇気」。退任演説で軍産複合体を警告した彼は、最も内側の人間が自己批判した点で異例だった。第三は「アイゼンハワー・マトリクス」の時間管理思想で、緊急と重要を分けるフレームワークは知識労働者の意思決定の定番となっている。一方、CIAによる第三国政権転覆承認は、現代に至るまで反米感情の遠因として残る負債である。

心に響く言葉

政府の評議の場において、軍産複合体による不当な影響力の獲得に対し、求められたものであれ求められざるものであれ、われわれは警戒せねばならない。

In the councils of government, we must guard against the acquisition of unwarranted influence, whether sought or unsought, by the military-industrial complex.

作られるあらゆる銃、進水されるあらゆる軍艦、発射されるあらゆるロケットは、究極的には、飢えても食を得られぬ者、寒くても着るものを与えられぬ者からの盗みを意味する。

Every gun that is made, every warship launched, every rocket fired signifies, in the final sense, a theft from those who hunger and are not fed, those who are cold and are not clothed.

計画それ自体は無価値だが、計画立案こそがすべてである。

Plans are worthless, but planning is everything.

私には2種類の問題がある。緊急なものと重要なものだ。緊急なものは重要ではなく、重要なものは決して緊急ではない。

I have two kinds of problems, the urgent and the important. The urgent are not important, and the important are never urgent.

生涯と功績

ドワイト・D・アイゼンハワーは1890年10月14日、テキサス州デニソンに生まれた。一家はペンシルバニア・ジャーマン系のメノナイト派の信仰を持つ貧しい家庭で、母アイダは後にエホバの証人の信者となった。1892年にカンザス州アビリーンへ転居、彼は7人兄弟の三男として育つ。経済的に大学進学が困難だったため、無償教育を受けられるアメリカ陸軍士官学校(ウェストポイント)に1911年入学、1915年に卒業した。

軍人としてのキャリアは長く停滞した。第一次大戦中は本国勤務のままで、少佐の階級に16年間留まった。1933-39年に陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサー大将の主任補佐官、その後フィリピンでマッカーサー軍事顧問の副官として仕えた時期、彼は人物管理の難しさと組織政治を学んだ。1941年12月の真珠湾攻撃後、参謀本部戦争計画局次長に任命されると、ジョージ・マーシャル参謀総長の信任を得て急速に頭角を現した。1942年3月の少将昇進から、1944年12月の元帥昇進まで2年9か月。陸軍中佐から元帥まで5年3か月という米陸軍史上空前のスピード昇進であった。

1944年6月6日(Dデー)、彼が連合国遠征軍最高司令官として下した決断によりノルマンディー上陸作戦が実行された。チャーチル、モントゴメリー、ド・ゴール、パットン、ジューコフという癖の強い同盟国指揮官たちを束ね、450万人規模の連合軍を統率した調整能力こそ、彼の最大の資質である。

1952年大統領選挙では当初出馬を拒否したが、両党から要請を受け共和党から出馬、民主党スティーヴンソンに圧勝した。在任中の主要業績は、1953年7月の朝鮮戦争休戦、1956年の州際高速道路網法(Interstate Highway Act)による現代米国の物流網基盤の構築、1957年のスプートニク・ショック後のNASA・国防高等研究計画局(ARPA、現DARPA)設立である。1957年リトルロック高校統合事件では、アーカンソー州知事の妨害を退け101空挺師団を派遣して連邦判決の人種統合命令を執行、公民権の連邦執行の先例を作った。外交ではダレス国務長官による「ニュールック戦略」で核兵器中心の抑止に転換し、軍事費を圧縮した。1961年1月17日の退任演説では「軍産複合体(military-industrial complex)の不当な影響力獲得に警戒せよ」と異例の警告を発した。これは現職大統領を5期務めた職業軍人による異例の自己批判であり、現代まで引用され続けている政治演説の名作である。

功罪両論は鋭い。功の側では朝鮮休戦、高速道路網、NASA、軍産複合体警告、公民権の連邦執行という遺産がある。罪の側では、1953年のCIAによるイラン・モサデク政権転覆(クーデター作戦TPAJAX)、1954年のグアテマラ・アルベンス政権転覆(作戦PBSUCCESS)など、CIA秘密工作による民主主義政権打倒を承認したことが冷戦後に明らかになり、現代の中東・中南米の反米感情の遠因とされる。歴代大統領ランキングでは安定して上位10位以内に位置し、「目立たない有能さ」「権力の自己抑制」の象徴として再評価が進んでいる。1955年と1957年に心臓発作と脳卒中を経験しながらも任期を全うした体力と意志の持ち主であった。

専門家としての評価

アイゼンハワーは「目立たないリーダーシップ」「権力の自己抑制」を体現した稀有な現代大統領である。職業軍人として大統領になりながら、退任演説で軍産複合体を批判するという矛盾を引き受けた知的誠実さは、米大統領史上でも独特の位置を占める。冷戦最盛期に核戦争を避け、朝鮮戦争を休戦に導き、CIA秘密工作という暗部も抱えながら、最終的に「Stable & competent」(安定して有能)という評価で歴史家ランキング上位を維持し続けている。

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よくある質問

ドワイト・D・アイゼンハワーとは?
第34代アメリカ大統領(1890-1969)。連合国遠征軍最高司令官としてノルマンディー上陸作戦を指揮、欧州戦勝利の立役者となった軍人出身大統領。在任1953-61年に朝鮮戦争休戦、州際高速道路網建設、NASA設立を実現。退任演説で「軍産複合体」の影響力増大を警告した冷戦期の現実主義者として知られる。
ドワイト・D・アイゼンハワーの有名な名言は?
ドワイト・D・アイゼンハワーの代表的な名言として、次の言葉があります:"政府の評議の場において、軍産複合体による不当な影響力の獲得に対し、求められたものであれ求められざるものであれ、われわれは警戒せねばならない。"
ドワイト・D・アイゼンハワーから何を学べるか?
アイゼンハワーから現代の経営者が学べる第一は「調整能力こそ最大の戦略資源」である。450万人の連合軍を率い、チャーチル、ド・ゴール、モントゴメリー、パットンという個性派指揮官たちを束ねた。M&A後の企業統合やグローバル組織のリーダーは、異質な文化と利害を持つ部下を機能させる必要があり、彼の「物腰は優雅に、行動は力強く」のモットーは現代の調整リーダーシップの古典である。第二は「権力への自己批判の勇気」。退任演説で軍産複合体を警告した彼は、最も内側の人間が自己批判した点で異例だった。第三は「アイゼンハワー・マトリクス」の時間管理思想で、緊急と重要を分けるフレームワークは知識労働者の意思決定の定番となっている。一方、CIAによる第三国政権転覆承認は、現代に至るまで反米感情の遠因として残る負債である。