心理学者 / social
ポーランド系ユダヤ人の社会心理学者 (1919-1982)。ナチスの捕虜収容所を生き延び家族の大半を失った経験から、偏見と集団間関係の研究に生涯を捧げた。1971年の最小集団パラダイム実験と弟子ジョン・ターナーと展開した社会的アイデンティティ理論で20世紀後半の社会心理学を変革。ブリストル大学・欧州実験社会心理学会の創設者の一人。2018-19年に研究室での性的ハラスメントが公にされた。
この人から学べること
タイフェルの最小集団パラダイムは現代の組織と投資に最も刺さる発見である。たかが部署名・チームカラーの違いで人は他部署を「あいつら」と呼び、自分の絶対利益を捨ててまで差を最大化しようとする――この事実が合併後統合失敗・社内政治・派閥対立の大半を説明する。優れた経営者は「カテゴリーの線をどこで引くか」を最重要決定として扱う。投資ではバリュー対グロース、ロング対ショートなど、自分がどの内集団で判断しているかを意識することが決定的だ。タイフェル自身が研究室で別の権力構造を再生産していた史実は、理論を語ることと自分の行動を律することは別問題という最も厳しい教訓でもある。
心に響く言葉
社会的カテゴリー化とは、個人の行為・意図・信念体系にとって等価な社会的対象や出来事をひとつのグループにまとめあげる過程と捉えることができる。
Social categorization can be considered as a process of bringing together social objects or events in groups which are equivalent with regard to an individual's actions, intentions and system of beliefs.
外集団の存在を意識するだけで、内集団の側に集団間の競争的あるいは差別的反応を引き起こすには十分である。
The mere awareness of the presence of an out-group is sufficient to provoke intergroup competitive or discriminatory responses on the part of the in-group.
クレー派かカンディンスキー派かというだけのカテゴリー分けに基づく差別であっても、有意な内集団選好を引き起こすには十分である。
Discrimination on the basis of categorization in terms of either Klee or Kandinsky is in itself sufficient to cause significant in-group preference.
社会的アイデンティティとは、個人が自らの社会集団への所属を認識し、その所属に価値と感情的意義を付与することで生じる、自己概念の一部である。
Social identity is that part of an individual's self-concept which derives from his knowledge of his membership of a social group together with the value and emotional significance attached to that membership.
社会心理学のあまりに多くが、真空の中での実験に終始している。
Too much of social psychology consists of experiments in a vacuum.
生涯と功績
アンリ・タイフェル (出生名ヘルシ・モルドケ・タイフェル) は1919年6月22日、ポーランドのユダヤ人家庭に生まれた。当時のポーランドはユダヤ人の大学入学を制限するヌメルス・クラウズス政策を敷いており、彼はパリのソルボンヌ大学で化学を学ぶためポーランドを離れた。第二次大戦勃発と同時にフランス軍に志願したが、翌年ドイツ軍の捕虜となる。ここで彼は重大な選択を迫られた――自分がポーランド系ユダヤ人であると告白するか否か。彼はフランス市民と申告し、ユダヤ人であることを否定はしなかった。「もし否定して後でユダヤ人と発覚すれば、確実に殺される」という冷徹な判断であった。複数の捕虜収容所を渡り歩いて生き延びたが、戦後ポーランドに帰還した彼を待っていたのは、直接の家族のほぼ全員と多くの友人がホロコーストで失われた事実であった。「この衝撃が私の偏見と集団間関係の研究のすべての出発点である」と後年彼は記している。
戦後はユダヤ人児童救護機構 OSE などの難民支援団体で働き、孤児となったユダヤ人児童の再定住を担当した。彼自身は「OSE での仕事こそ人生最大の業績」と生涯語り、救援した子どもたちの多くと連絡を絶やさなかった。1946年フランス市民権取得、後に英国の妻アン・エーバーと出会って英国に移住、二人の息子を儲け英国籍を取得した。1951年32歳でロンドン大学バークベック・カレッジで心理学を学び始める。社会人学生向け奨学金を「偏見」をテーマにしたエッセイで獲得した経歴は、彼の研究人生の象徴である。1954年卒業後ダラム大学、オックスフォード大学で講師となり、1962年ライナカー・カレッジ創立フェロー就任。1967年ブリストル大学社会心理学教授に就任し、ヨーロッパ実験社会心理学会 (EASP) の創設者の一人となり、戦後欧州社会心理学の知的中心地を築いた。
彼の初期研究は社会的判断とカテゴリー化の認知過程であった。当時の有力説は極端な偏見は権威主義的パーソナリティに由来するというものだったが、タイフェルはこれを否定した。「『普通の』ドイツ人の多くがナチズムを支持しユダヤ人について極端な見解を持った――特殊な人格だけではナチズムは成立しなかった」が彼の出発点である。1959年の「線分の長さ判断」実験は、対象が単に A・B というカテゴリー名で標識付けされるだけで、同一カテゴリー内の差は実際より小さく、カテゴリー間の差は大きく知覚されることを示した。これが「カテゴリー化のアクセント効果」であり、ステレオタイプ思考の認知的基盤が普通の思考過程に埋め込まれていることの最初の実験的証拠となった。1969年論文「偏見の認知的側面」でこの立場を体系化し、SPSSI 第1回ゴードン・オールポート集団間関係賞を受賞した。
1971年の最小集団パラダイム実験は20世紀社会心理学の古典中の古典である。被験者はクレーかカンディンスキーの抽象画への好みなど些細な基準で2集団に割り振られた。にもかかわらず被験者は資源配分課題で内集団に偏った分配を行い、自集団の絶対的利益を犠牲にしてまで他集団との差を最大化しようとした。コイントス1回の分類で人は内集団びいきを始める――この発見は内集団偏好の起源についての従来説 (利害対立・接触・歴史的怨恨) を覆した。弟子ジョン・ターナーと展開した社会的アイデンティティ理論 (SIT) は、人間が自己を内集団に同一視し内集団の地位を高めることで自尊心を獲得する生得的傾向を持つと提唱。SIT は集団力学・集団間関係・偏見研究・組織心理学に広く応用され、欧州社会心理学を米国流個人主義から差別化する旗印となった。1982年5月3日、癌のため死去、享年62。
2018-19年、ブリストル大学時代の研究室で女性同僚への不適切な性的接近があったとの証言が次々と公表された。彼自身は SIT をジェンダーに応用することに関心を持たなかった――この理論的盲点と研究室での加害行動の符号は、現代の研究者倫理論争で繰り返し言及される。これを受け欧州社会心理学会は権威ある「タイフェル賞」の改名を決定した。ホロコーストから偏見研究を始めた人物が自らの研究室で別の権力構造を再生産していた事実は、SIT の批判的読み直しと研究機関ガバナンス改革の議論を今日まで促す。
専門家としての評価
ホロコースト体験から偏見研究へ向かった希少な戦後社会心理学者。最小集団パラダイム (1971) と社会的アイデンティティ理論 (1979) によって、内集団偏好の発生機序を「特殊なパーソナリティ」から「普通のカテゴリー化過程」へと根本的に書き換え、欧州社会心理学を米国流から差別化する旗印を立てた。ただし2018-19年に明るみに出た研究室セクハラ事件と、ジェンダーを理論に応用しなかった盲点は、SIT の批判的再読を促し続けている。
