哲学者 / 現代西洋

チャールズ・サンダース・パース
アメリカ合衆国 1839-09-10 ~ 1914-04-19
プラグマティズムの創始者にして記号論(セミオティクス)の開祖と評される論理学者・哲学者(1839-1914)。生前は大学の定職に恵まれず、米国沿岸測量局で30年勤めながら厖大な遺稿を残した在野の思考者。ハーバード大学に所縁を持ちつつも校内に立ち入りすら許されない冷遇のなか、後の20世紀記号論・論理学の礎を独力で築いた。
この人から学べること
パースから現代のビジネスパーソンが学べる第一は「アブダクションを設計する力」である。データを前にしたとき人は演繹と帰納だけで意思決定できると思いがちだが、創造的な仕事は「目の前の事実を説明する仮説をどれだけ豊かに思いつけるか」にかかっている。新規事業の機会発見、顧客課題の特定、研究開発、医療診断のいずれも、仮説生成の質が結果を決める。第二に、プラグマティズムの格率は会議や戦略立案の強力な切り口だ。「この理念を採用すると行動として何が変わるか」と問えば、観念的な対立は具体的な選択肢に翻訳される。第三に「探究の道を塞ぐな」という戒めは、現代でいう心理的安全性と知的誠実さの古典的源泉である。疑問や反証の余地を残すこと、結論を保留したまま仮説を検証し続ける習慣は、優れた研究組織やエンジニアリング文化の根幹をなす。
心に響く言葉
我々が考察する対象が、実践に関わりうるどのような結果を持ちうるかを考えよ。その結果についての我々の表象こそが、その対象についての我々の表象のすべてである。
Consider what effects, that might conceivably have practical bearings, we conceive the object of our conception to have. Then, our conception of these effects is the whole of our conception of the object.
探究する者すべてが究極的に同意することが運命づけられているような意見、それが我々が真理によって意味するところであり、その意見において表象されている対象こそが実在である。
The opinion which is fated to be ultimately agreed to by all who investigate, is what we mean by the truth, and the object represented in this opinion is the real.
探究の道を塞いではならない。
Do not block the way of inquiry.
論理は社会的原理に根を下ろしている。
Logic is rooted in the social principle.
生涯と功績
チャールズ・サンダース・パースは、生前に正当な評価を得られなかった独創的思考者の典型として語られる思想家である。1839年にマサチューセッツ州ケンブリッジで、ハーバード大学数学教授ベンジャミン・パースの次男として生まれた。父からの英才教育は厳しく、8歳で化学、12歳でホエイトリーの『論理学の要項』を読破したと伝えられる。1862年と1863年にハーバード大学で文学士・修士の学位を取得し、続いて化学で理学士を最優秀で授与された。10代後半から三叉神経痛に苦しみ、激痛発作のあとには長い抑鬱と疑心暗鬼が続いたという同時代証言が残っている。
大学院修了後は1859年から1891年までの30年余を米国沿岸測量局で過ごす。本職は測地学と重力測定で、振り子による測地のためにヨーロッパへ五度派遣された。1872年にはハーバード周辺の青年知識人たちと「形而上学クラブ」を結成し、ウィリアム・ジェイムズ、後の連邦最高裁判事O・W・ホームズらと議論を重ねた。プラグマティズムという名称はこのクラブでの議論から胚胎し、1878年の論文「我々の観念をいかに明晰にするか」で世に問われる。観念の意味はそれを実行に移したときに生じる感性的・実践的帰結の総和であるという、いわゆる「プラグマティズムの格率」がここで定式化された。
1879年、彼はジョンズ・ホプキンス大学の論理学講師に招かれる。これが彼の唯一の大学ポストとなった。フレーゲと並行して三項関係に基づく述語論理を構想し、量化子の体系を独自に整備した。1885年の論文では電気スイッチによって論理演算が遂行可能だと指摘した。これが半世紀後にクロード・シャノンに発見され、デジタル計算機の理論的源流の一つとなる。だが1883年に最初の妻と離婚し、新たな伴侶ジュリエットと事実婚状態のまま大学に勤めていたことが発覚すると、清教徒道徳の根強い東部学界から事実上追放された。学長エリオットはハーバードへの登用を一貫して拒み、サイモン・ニューカム派の科学者たちはカーネギー研究所からの研究資金まで阻んだ。
パースの思想的核心はカテゴリー論にある。あらゆる思考に偏在する普遍概念として、彼は「第一性」(質、感じそのもの)、「第二性」(関係、抵抗の事実)、「第三性」(媒介、法則・習慣)という三つを抽出した。記号もこの三項に応じて「類像(イコン)」「指標(インデックス)」「象徴(シンボル)」と分類される。さらに彼は仮説形成のプロセスを「アブダクション」と命名し、演繹・帰納と並ぶ第三の推論として位置づけた。これは20世紀の科学哲学・AI研究における仮説生成論の基礎となる。
1887年にペンシルベニア州ミルフォードに退いて以後の彼は、極貧と病に苦しみつつ書き続けた。冬は暖房もなく、地元のパン屋から古いパンを恵まれ、新しい紙が買えず古い原稿の裏に万年筆を走らせた。長年の友人ウィリアム・ジェイムズはハーバード周辺で連続講演を組み、毎年ボストンの友人から支援金を募った。1914年、生前は無視されたまま74歳で没した。1959年にバートランド・ラッセルが「彼は19世紀後半において最も独創的な精神の一人であり、間違いなくこれまでアメリカが生んだ最も偉大な思想家である」と書き、デューイ、ホワイトヘッド、ポパーらが相次いで再評価したことで、ようやく彼の像は像を結びはじめた。
専門家としての評価
西洋哲学史におけるパースの位置は、論理実証主義以前の英米分析哲学の暗流として極めて重要である。フレーゲと並行して述語論理と量化子を構想し、独自の関係論理学を構築した点で20世紀論理学の源流に立つ。プラグマティズムは彼の死後、ジェイムズとデューイによって普及版として広まり、彼自身は後年これと区別するため自らの立場を「プラグマティシズム」と改称した。記号論ではソシュールの二項モデルに対して三項モデルを提示しており、現代の認知科学・AI研究との親和性が高く、再発見が続いている。