哲学者 / 近世西洋

フーゴー・グローティウス
オランダ 1583-04-10 ~ 1645-08-28
オランダ生まれの法学者・哲学者(1583-1645)。「国際法の父」と称され、自然法に基づく『戦争と平和の法』(1625)で近代国際法の基礎を築いた。11歳でライデン大学に入学した神童である。宗教対立で1619年に終身刑を受けるが、本箱に隠れて脱獄しパリへ亡命するという伝説的な逃亡劇でも知られている。
この人から学べること
グロティウスから現代のリーダーが学べる第一の点は、「対立する複数の権威を超える普遍的な原理を探す」という姿勢である。彼は宗派戦争のなかで、カトリックとプロテスタント双方が共有しうる規範を「自然法」に求めた。現代企業がESG・人権・データ倫理などをめぐり国境・宗教・文化を超えた共通基準を作るとき、彼の方法論は今なお有効である。第二に、海洋自由論。彼は実用的法律論の依頼を、独占的海運秩序への正面挑戦に展開させた。目の前の法務案件を抽象原理にまで普遍化する力は、戦略的法務・ロビイングの古典的範例である。第三に、彼の脱獄譚と亡命生活が示す回復力(レジリエンス)。終身刑から本箱で脱出し、亡命先で生涯最大の業績を上げた彼の歩みは、強制的なキャリア中断を逆手に取って新しい仕事を生み出した先例として、現代の中年期キャリア危機への示唆を与える。
心に響く言葉
海は自由である。海は誰のものでもなく、すべての者のものである。
Mare liberum est: nullius enim mare est, et omnium mare est.
多くを求めすぎた。ただ無駄に時を過ごしてしまった。
Multa quæsivi, frustra tempus consumpsi.
戦争は正当な原因なしには引き受けられてはならない。
Bellum suscipiendum non est nisi cum justa causa.
たとえ神が存在せず、人間のことに関与しないと仮定しても(自然法は妥当する)。
Etiamsi daremus non esse Deum, aut non curari ab eo negotia humana.
生涯と功績
フーゴー・グロティウスは、近代国際法の父として教科書に登場する人物である。だが彼の生涯は、純粋な学究のものではなく、八十年戦争・三十年戦争という近世ヨーロッパの宗教戦争の渦中を生き抜いたものだった。1583年、八十年戦争の最中、オランダのデルフトに生まれる。父は法学者で、息子の知性に早くから気づき、徹底した古典教育を施した。8歳でラテン語の詩を書き、11歳でライデン大学に入学した彼は、ヨーロッパ中で「神童」として知られた。
21歳のとき、彼の人生を決める依頼が舞い込む。1603年、オランダ東インド会社の船員ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルクがマラッカ海峡でポルトガル船サンタ・カタリーナ号を拿捕した事件をめぐり、会社は彼にこの拿捕の正当性の論証を依頼した。彼が書いた手稿『De Indis』は彼自身の生前には公刊されず、ただその第12章『自由海論』(Mare Liberum, 1609)が独立して出版されることになる。「海は誰のものでもなく、すべての国家が貿易のために自由に使うことができる」というこの主張は、当時独占的海運帝国を築いていたポルトガル・スペインへの正面からの挑戦であり、現代の公海自由原則の原点となった。
1613年、彼はロッテルダム市の年金支給政務官に就任し、政治家としても頭角を現した。だが当時のオランダは、厳格カルヴァン派(高地派)とアルミニウス派(レモンストラント派)の神学論争で内部対立が深まっていた。アルミニウス派を擁護した彼は1618年、政治闘争に敗れて逮捕され、翌年ロエフェステイン城に終身禁錮を言い渡される。1621年、妻マリアの機転で、書物を運び入れる本箱に身を隠して脱出するという伝説的な脱獄を成し遂げた彼は、パリに亡命した。
この亡命中の1625年、彼は主著『戦争と平和の法』(De Jure Belli ac Pacis)を発表する。三十年戦争のさなか、ヨーロッパが宗派戦争で荒れ果てるなか書かれたこの書は、戦争の正当性と限界を「自然法」によって定めようとした。彼は神が存在しないと仮定しても (etiamsi daremus non esse Deum) 自然法は理性によって妥当する、と主張した。これは中世以来の神学的根拠付けから自然法を独立させ、近代世俗的・合理主義的法体系の出発点となった画期的命題である。
以降、彼はスウェーデン女王クリスティナの厚遇を受け、駐仏スウェーデン大使を務めた。神学的にはキリスト教諸宗派の和解を生涯模索し続け、晩年に『キリスト教真理の証明について』を著した。1645年、リューベックでの船舶事故からロストックに辿り着いた直後、悪天候のなかで疲労困憊で世を去る。最期の言葉は「多くを求めすぎた、ただ無駄に時を過ごした」(Multa quæsivi, frustra tempus consumpsi)とされる。
彼の自然法論は、ホッブズ・ロック・プーフェンドルフへと継承され、近代国際秩序の規範的基礎となった。国連憲章・ウィーン外交関係条約・ジュネーブ諸条約のすべてが、彼の構想した「主権国家間の法」の延長線上にあるのである。法と神学の分離、対立する諸権威を超える普遍的理性への信頼、亡命者として本国を超えた知的影響力を持ち続けた生涯――この三点において、グロティウスは近代精神そのものを体現した知識人だったと言える。
専門家としての評価
西洋哲学史におけるグロティウスは、近世自然法論の最重要人物であり、ホッブズ・ロック・プーフェンドルフ・ヴォルフへと連なる近代政治哲学の出発点に位置する。スコラ派自然法 (アクィナス・スアレス) からの継承と、世俗化された理性の自然法への移行を最も明確に体現した。法学者としてはヴィトリア・ジェンティリと並ぶ国際法の創始者。同時代人で言えば、デカルトと並行して合理主義的世俗化を法と政治の領域で進めた知性として位置づけられる。