哲学者 / 現代西洋

ジョージ・エドワード・ムーア
イギリス 1873-11-04 ~ 1958-10-24
20世紀英国分析哲学の三本柱の一人(1873-1958)、ケンブリッジで「精神哲学・論理学」教授を務めた倫理学者・哲学者。観念論隆盛のイギリスで常識的実在論への転換を主導し、『倫理学原理』で「自然主義的誤謬」を提示してメタ倫理学を創始した。「ここに手がある」と言いながら手を挙げる外的世界の証明は哲学史の名場面。
この人から学べること
ムーアから現代人が学べる第一は「分析的明晰さの徳」である。彼は文章のクリアさと忍耐強い概念分析で名高く、難解さを賢さの証と取り違えがちな知的文化に対する解毒剤となる。会議や提案書で「我々が言いたいことを正確に言えているか」と立ち止まる習慣は、彼の方法論を継ぐ。第二は「自然主義的誤謬への警戒」である。「自然なものは善い」「データが示しているから正しい」「成長しているから良い」――この種の論法は、特定の自然的事実から価値を直接導出する誤謬になりやすい。データドリブン経営においてこそ、事実と価値の区別を保つ批判的姿勢が要る。第三は『倫理学原理』第6章が示した「人間的価値の中心は人間関係と美的経験にある」という洞察。経済的成功や効率の最大化を超えて、何のために働き生きるのかを問い直すとき、彼の常識哲学は静かな指針となる。
心に響く言葉
善は善である。それで話は終わりである。
Good is good, and that is the end of the matter.
ここに一つの手があり、ここにもう一つの手がある。
Here is one hand, and here is another.
我々が知り、想像しうる最も価値あるものは、ある種の意識状態である――人と交わる喜び、美しいものを愛でる喜び、と大まかに記述できるものである。
By far the most valuable things, which we know or can imagine, are certain states of consciousness, which may be roughly described as the pleasures of human intercourse and the enjoyment of beautiful objects.
雨が降っている、しかし私は雨が降っているとは信じていない。
It is raining, but I don't believe that it is raining.
生涯と功績
ジョージ・エドワード・ムーアは、ラッセル、ウィトゲンシュタインと並んで20世紀英国分析哲学の出発点に立つ哲学者である。1873年、ロンドン南東部アッパー・ノーウッドに、医師ダニエル・ムーアの七人兄弟の真ん中として生まれた。長兄は詩人・彫版師のトマス・スタージ・ムーアである。ダリッジ校を経て1892年、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。古典学と道徳科学を専攻し、いずれも一級の優等で卒業した。1898年トリニティ・カレッジのフェロー、1925年から1939年までケンブリッジ大学「精神哲学・論理学」教授を務め、ブルームズベリー・グループに影響を与えながらも本人は外側から距離を保った。1894年から1901年まで秘密結社「ケンブリッジ・アポストルズ」のメンバーでもあった。1912年から1944年までケンブリッジ大学道徳科学クラブの議長を務め、1918年に英国アカデミー会員となっている。
彼の代表的著作『倫理学原理』(1903)は20世紀メタ倫理学の出発点とされる。中心概念は「自然主義的誤謬」である。倫理学者がしばしば「善とは快である」「善とは進化的に有利なものである」といった形で「善」を別の自然的性質と同一視するが、ムーアによれば「快であるが善ではない物は何か」という問いが意味を保つ以上、両者は概念的に別個である。「未決問題論証」と呼ばれるこの議論は、善は分析不可能で還元不可能な単純な性質であるという結論を導く。これに対応する倫理学的立場が直観主義であり、「何が善か」は直観によって把握される。彼が提示した規範倫理学は、快楽だけを目的とする功利主義ではなく直観された複数の善を目的とする「理想的功利主義」だった。『倫理学原理』はブルームズベリー・グループのケインズ、リットン・ストレイチー、ヴァージニア・ウルフらに大きな影響を与えた。
認識論ではムーアは観念論への抵抗者として登場した。19世紀末ケンブリッジを支配していたブラッドリーらの観念論に対し、彼は1903年の論文「観念論の論駁」で経験と意識を区別し、意識される対象は意識から独立して存在すると論じた。1939年の論文「外的世界の証明」では、講演者が「ここに手がある」と片手を、「ここにもう一つある」ともう片手を挙げて見せ、「ゆえに少なくとも二つの外的物体が存在する」と結論する有名な議論を展開した。哲学的懐疑への常識による応答というこの姿勢は、後に「常識哲学」と呼ばれる。言語哲学では「ムーアのパラドックス」で知られる。「外で雨が降っているが、私は雨が降っていると信じていない」という発言は、矛盾していないにもかかわらず奇妙であり、この奇妙さの分析は後年ウィトゲンシュタインらに引き継がれた。1951年メリット勲章。彼を「私の天才の理想」と評したラッセルや、彼に Tractatus の表題を提案された Wittgenstein など、ムーアは公私にわたって20世紀哲学の中心人物だった。1958年、85歳でケンブリッジに没す。妻ドロシー・エリーとの間に二人の息子をもうけ、長男は詩人ニコラス・ムーア、次男は作曲家ティモシー・ムーアとなった。哲学者の家族関係としては珍しく文芸との結びつきが強い系譜である。彼の学問における徹底した明晰さは、ノルウェーでウィトゲンシュタインを訪ね口述筆記を取った1914年のエピソード、また晩年に英国王ジョージ六世から勲章を賜った帰路、妻に「王様はウィトゲンシュタインの名を聞いたこともなかった」と告げた逸話が物語る。
専門家としての評価
20世紀分析哲学史におけるムーアの位置は二重である。第一に、英国観念論からの実在論的離反を主導した転換点であり、ラッセル、ウィトゲンシュタインと並ぶ三本柱として分析哲学の創設に寄与した。第二に、メタ倫理学という分野そのものを『倫理学原理』で開いた創始者である。直観主義は20世紀後半の道徳実在論論争で再受容され、自然主義的誤謬は今日でも倫理学入門の必須トピックとして読み継がれており、彼は哲学的中庸の代名詞となっている。